SUN PM 7:00 駅舎上空

 ケルベロスは仮の姿のままふよふよと浮いている。
 その視線の先、遠くから白っぽい人影が近づいてくる。

「待たせたな。」

 そう言ってケルベロスの目の前までやって来たのは本来の姿に戻った月だ。
 月の仮の姿である月城雪兎は、さくらの兄である桃矢と同じ大学に在籍している。
 友枝町から随分と離れたところにあるその大学に通うため、それまで暮らしていた家を処分して大学の寮に移り住んでいる。

「いや、わいもついさっき来たとこや。」

 ケルベロスが言うと

「急ごう、もう向こうは来ているかも知れない。」

 月は言う。 表情の乏しいその顔に焦燥を滲ませて。

「ああ、そうやな。 あの兄ちゃんはともかく『標的』の方は待ってはくれんやろうからな。」

 そう言うと一人と一匹は飛び去って行く。 ペンギン公園に向かって。





 PM 6:45 ペンギン公園

「・・・グルルル・・・・・」

 身動きの出来なかった小狼の脇をすり抜けたナイフの先で、いきなり獣のうめき声が聞こえる。
 咄嗟に小狼は霧間凪のいる方へ駆けだし、声から十分な距離を取って振り向くと。

           鬼

 そうとしか表現できないものがいた。
 それは見た目、人間と変わらないシルエットをしているが、人とはかけ離れたいびつな印象を与えている。 着ている服はあちこちが破れ、髪も野放図に伸びている、それだけに注目すれば単なる浮浪者に見えなくもない。 だが、両腕両足はあからさまに長さが違うし、破れた服から覗く肩や腹部には接着した後のような継ぎ目があり、その両側は明らかに肌の色が違う上、筋肉の凹凸もその継ぎ目からずれている。 顔は若い男のそれだが、瞳孔のない金色に光る目が、どうしようもなく人に畏れを抱かせる。 額には先ほど凪の放ったナイフが深々と刺さったままだ。

「・・・・・あれが、『野犬』・・・」

 自分でも声が震えているのが解る。 たとえ彊屍でもここまでいびつな物は存在しない。 どうしようもない恐怖が小狼を襲うが、それを強引にねじ伏せ、隣にいる凪に

「二対一じゃここだと不利だ! 広い所に出るぞ!!」

 そう言って走り出す。 来た道の逆の方へ、この公園の地理に疎いであろう凪に先導する形で。 凪が付いて来ているのを気配で察した小狼は

「何なんだ!・・・あの化け物は!!」

「見れば解るだろう! フランケンシュタインだ!! 死体が息を吹き返したんだよ!」

「ひとりでにか?! 聞いたこともないぞ!!」

「知るか! 危険なことには変わりは無いだろう!! とにかく走れ! ここで追いつかれると・・・」

 そこで言葉を切った凪、

「ッ!!」

 いったいどこをどう移動してきたのか、小狼たちの進行方向の30mほど先に「鬼」がたたずんでいる。 ここで引き返す訳にもいかない。 躊躇は一瞬だった。

「先に行くぞ! 隙を作る!!」

そう凪に宣言した小狼は答えを待たずに走る速度を上げ、「鬼」に向かう。

「なっ!」

 慌てて凪も小狼に引き離されないよう速度を上げる。 小狼の目の前まで迫った「鬼」が小狼に向かって右腕を振るう、その一瞬に小狼は手足の振りを揃え、大きく一歩を踏み出す、「鬼」の股下に向かって。

  ザッ

 身を低くした小狼が「鬼」の足の間をくぐり背後に回る。 そのまま両手を「鬼」の背中にかざし。
 
「哈ぁっ!!」

 気合いと共に両の掌を「鬼」に叩きつける。
 完全に不意を突かれる形になった「鬼」は前にはじき飛ばされる。 凪に向かって。
 「鬼」は不自然な体勢ながらも凪に一撃を加えようと左腕を突き出す

「ふっ!」

 その腕を凪に捕まれ、小狼に突き飛ばされた勢いのベクトルが丸ごと真下に変わる。

 ズン!・・・

 合気道の要領で綺麗に「鬼」の脳天を地面に叩きつけた凪はすぐさま小狼に

「走れ!」

 そう言い駆け出す。 慌てて小狼は走り出し

「倒せたんじゃないのか!?」

 と、走りながら凪に食ってかかる。 

「あれで壊れてくれるようならこっちも苦労しない! 額にナイフが刺さったまま平気で追いかけてくる奴だぞ!! 脳も内臓もまともに使っている保証なんかあるか!!」

 小狼に言い返す凪。 慄然とする小狼。 浸透勁こそ使えなかったが間違いなく暗勁をたたき込んだのだ。 普通なら気功と漢方に詳しい医者に掛からないと一生障害が残るようなダメージを小狼は与えたのである。 その上で凪が受け身のとれない状態で脳天から地面に叩きつけた。 これも凡人なら致命傷になるほどのダメージだ。 これで動けるなら人間、いや、完全に生物の範疇を越えている。 一度はねじ伏せたはずの恐怖が再び小狼の背筋を這い上がってくる。 歯を食いしばりもう一度それを押さえつける。 物理的な攻撃が通用しないならあれは魔導生命体と同じだ。 なら、まだ手はある。 道術なら。 まだ万策が尽きた訳ではない。 何とかなる。 絶対、大丈夫だ。 少しでいい。 力を貸してくれ。 
 めまぐるしく変わる思考を抱いて走り続ける小狼。 凪も後を追う。
 やがて林が切れ、障害物の無い広場に出る。その中央で足を止めた二人は背中合わせに立ち、身構える。
「本当に・・・あれで死んでないのか・・・」

 背中に冷たいものを感じながら小狼

「あれで死んでくれるならそれに越したことはない。」

 幾分余裕のみえる凪。

 やがて、小狼たちの来た道から

 「鬼」がゆっくりと姿をあらわす。

 「それ」は焦っていた。
 最初は単なる向上心だった。
 身を隠していた林で「それ」は強い「力」を感じた。
 その時すでに「羽化」自体に問題は無かったが、その「力」を取り込む事が出来たならさらに安全に「羽化」を迎えることができるかもしれない。 そんな「欲」に動かされ、「それ」は「力」のある方へ歩き出した。 相手に悟られないよう慎重に、ゆっくりと。 だが、その「力」の持ち主の背後にたどり着いた瞬間に、いきなり攻撃を受けてしまった。 活動そのものに支障は無かったが傷を受けたことで「羽化」が遠のいてしまった。 こうなっては、またどこかから「部品」を調達しなくてはならない。 そう思い、逃げだした「力」の持ち主達を追うが、またダメージを受けてしまった。 今度は深刻な損傷が内部に残っている。 このままでは「羽化」そのものが出来なくなってしまう。 持てる力の全てを使っても奴らから「部品」を手に入れなくてはならなくなった。 急がなくてはならない。 せっかく開きかけた「産道」が閉じてしまう。 二度目のチャンスなのに。 今度こそ生まれてみせる。 「壊す」ために。 そのために必ず。




「無策・・・じゃないな? 何を持ってきた?」

 「鬼」から視線を外さないまま小狼が凪に問う

「リミッターを外したスタンロッドとハンドガン。 後はナイフと警棒だが・・・そっちは?」

 凪も小狼に問い返す

「こっちはこの木剣と呪符だ。 威力はあるがどっちも使うまで5秒以上のタイムラグが出る。」

「5秒・・・か・・・・・少し厳しい、かな。」

 そう言うと凪は懐に手を入れ

「期待するなよ。」

 タンッ!

 妙に軽い爆発音が響き、「鬼」の肩に小さな穴が穿たれる。

「け、拳銃?! どうやってそんな物を?・・・」

 目を丸くする小狼

「持ってるって言ったろう? 時間を稼ぐ。」

平然と言い、凪は小型の自動拳銃を連射しながら走り出す。 小狼はしばし呆然と見送るが戦闘中であることを思いだし、慌てて剣を構え呪符を取り出す。
凪は拳銃の弾倉に装填されている9oパラベラム弾を次々と「鬼」にたたき込みながらその右手に回る。 30年近く前に産声を上げて以来、世界一と謳われ続けてきた旧チェコ製のオートマティック・ハンドガンは持ち主の意志に沿って合計15発の弾丸を敵の元へと送り込む。
凪は薬室に弾丸を残した状態でマガジンキャッチを押し、空になった弾倉を交換しかけるが「鬼」はその一瞬の隙を突き10mの距離を瞬きの間にゼロにする。 銃弾は「鬼」の身体能力に一切の影響を与えてはいない。

「・・・くっ!・・・」

 慌てて銃をしまい、迎撃しようと身構える。

 そして

 ズドンッ!!

至近距離の落雷に跳ねとばされる凪。 そのまま転がり続けダメージを最小限に食い止める。 数秒後、何とか止まることの出来た凪が見たものは・・・

黒こげになった「鬼」

「・・・・・これは・・・」

 慌てて辺りを見回す凪。
 そこに、
 木剣を構え、「鬼」を睨み付ける小狼がいた。
「あいつが・・・やった・・・のか?」

 確かあいつは「じゅふ」とか言っていた。 あの服もそうだ。 色こそ違うが映画で中国の道士が着ていたの見たことがある。 ・・・じゅふ・・・そう、「呪符」だ。 なんらかの能力の持ち主であることは想像出来たがよもや「魔法使い」とは、完全に凪の想像を超えている。 だが、この局面では有効打になるかもしれない。

「まだだ!! 続けろ!!」

喉が張り裂けんばかりに叫ぶ。 ここでたたみ掛けるべきだ。 でなければ 

「・・・え?・・・」

 一瞬小狼は聞き返そうとするがすぐに次の呪符を取り出し印を切り呪を唱える。 凪も手早くマグ・チェンジを終え、牽制のために撃ち続ける。 凪の持つ銃のマズルフラッシュが、小狼の放つ雷撃が、火炎が、ストロボフラッシュの様に闇に覆われた公園を照らす。
 そのまますべてが終わるかに見えた。

 ・・・だが・・・

 バリッ!

 なにかの裂ける音、その方向に小狼が顔を向けると。

 倒れ伏す凪の傍らに

 「鬼」がいた。

「・・・・・あ・・・・・」

 見たまま推測するのなら、あの銃弾と魔術の渦、その一瞬の、隙とも言えない間に凪の元へ移動し、一撃を入れた。
 と言うことになる。

「・・・そんな・・・」

 我知らず小狼の口から震える声が漏れる。 膝に全く力が入らず、意識が遠のいて行く。 恐怖のために。 ナイフを額に刺したまま平然と動き回り、暗剄も、銃弾も、魔道の雷や炎さえ、ろくなダメージを与えていない。 薄れゆく視界の中、小狼は絶望に抗う術を失いかけていた。

 (・・・このまま・・・)

 このまま気絶すれば楽になれる。 そんな甘い誘惑が小狼の自由を奪う。 その心中を察してか、「鬼」は小狼に向き直り歩を進める。

ゆっくりと。




つづく