SUN PM5:15 友枝町商店街

 噴水に腰掛けた霧間凪は携帯電話で誰かと話している。
「・・・おもちゃ会社の令嬢?・・・・・天宮の血縁の・・・そうか・・・・・やけに短時間で調べられたな。・・・・・またやばいことに手を出してるんじゃないだろうな?・・・・・わかったわかった・・・ああ、大丈夫だ。・・・心配するな。 ・・・・・ああ、遅くなる。 綺と正樹にはおまえから伝えといてくれ。 ・・・じゃあ、また連絡する。」

 電話を切った凪はしばらく夕日に伸びる自分の影を見つめながら、これからの予定を考えていた。 どうせ「あいつ」は暗くなってから動き出すはずだ。 日が完全に沈んでからコインロッカーに預けてある荷物を取りに行っても充分間に合うだろう。 既に公園の下見は済んでいる。 今日一日で見つかるとは思えないから気長に構えるのが得策だ。

「久しぶりね、『炎の魔女』さん。」

 唐突にかけられた声に凪が顔を上げるとそこには、九連内朱巳がこちらを見ていた。

「ああ、久しぶりだな。『傷物の赤』。」

 微笑みながら凪

「貴女がここにいるって事はどうやらまた同じ物を追いかけてたみたいね。」

 髪を掻き上げながら朱巳

「そうなるな。 そっちはどの程度調査が進んでいるんだ?」

「一週間前に見失ってからは手がかり無し、ね。 こっちは調査をうち切るわ。 危険性はあまりない、ってのが上の見解。 ま、見つかればほっとかないけどね。」

「そうか・・・なら今回はあんたの助けは期待できないな。」

「助けがいるんならもう少し困った顔をしたら? 変わらないわね。 貴女。」

「変わらない、か。 お互い様だろ?」

「ふふ、まあね。」

朱巳はそう言って凪に背を向ける。

「もう行くのか?」

「ええ、長居できないのよ、この町には。 またどこかで会いましょう? 『炎の魔女』さん。」

 その背を見つめ凪は

「ああ。 今度はお互いに暇なときに会いたいもんだな。」

 それを聞いた朱巳は凪を振り返らないまま肩をすくめ

「無理よ。 事件を追いかけていない貴女なんて想像も出来ないわ。」

「それも、お互い様だ。」

 凪が最後に掛けた言葉には応えず、九連内朱巳は雑踏に消える。 
 残された凪は、また自分の影に目を落としそのまま、じわじわと茜に染まる石畳を眺める。 日が沈むまで。




SUN PM 6:00 フレンズマンション407号室

 東向きの窓のためにこの時間帯はかなり薄暗いワンルームマンションの室内は、パソコンのウィンドウの明かりだけが灯っている。
 その前に座っている忠戌真琴こと統和機構の人造人間「オビディエント」は九連内朱巳に渡されたフロッピィの中身を見ている。 厳重なプロテクトを潜らねば見ることの出来ないそれは、ごく短い文面で「標的」の特徴と推測出来る限りの能力が記録されていた。 それをすべて自身の電子回路に記憶させた真琴はパソコンからフロッピィを抜き取り、キッチンへと向かう。 冷蔵庫からジュースのパックを取り出し、ソファに深く腰掛け、コップに移さずにパックのままその中身を飲む。
 ふとフロッピィに目を落とし、それを投げ捨てる。 フロッピィは放物線を描きながらゴミ箱に吸い込まれる。 中のデータを全て壊されて。
 数百ギガワットに達する放電とそれに伴う磁界、それが彼女に与えられた能力だ。 彼女はその能力を自ら「ミョルニル」と名付けている。 彼女はその能力でフォルテッシモに次ぐ実力の持ち主として畏れられている。 何より彼女は統和機構への忠誠心が他の「端末」と桁外れで、中枢からの絶大な信頼を受けている。 実際組織内の位階も端末としては最も高く、九連内朱巳よりもかなり上である。 朱巳がわがままを言ったときに強く出なかったのは単にそれが任務外の行動だったから、ただそれだけである。 現在の彼女の任務は「維持」。 この町に統和機構とその敵性団体の息のかかった存在の進入を防ぐこと。 それがたとえ統和機構最強の男でも躊躇はしない。 連絡員ではない「組織」の関係者がこの町に進入した場合、それが何者であっても速やかに、確実に「処分」する。それが現在の彼女に与えられた主な任務である。 そのために末端では最高位の位階を与えられている。 彼女がこの任務を与えられたのはおよそ3年前、さくらがクロウカード集めを始めた頃と一致する。 それは彼女の知るところではないが。 その後任務を果たすため多くの「組織」と戦ってきて、その全てを「排除」している。 何の躊躇いも、疑問も持たず、ただ、任務を遂行する。 それがどんなに矛盾したものでも。 それが「オビディエント(信頼)」の名を持つ彼女の矜持であり、全てである。 そのため今回の指令も「探索」が含まれていないために、探そうとしない。 それがどんなに危険なものであっても。 その「対象」のために彼女の現在の任務そのものが無意味になろうとしていても。
 そのため忠戌真琴はこれまでも、そしてこれからも事態の中心にたどり着くことはない。 ずっと、おそらくその天寿を全うするまで。
 常に決定的な「何か」を見逃す。 彼女はそんな存在なのかもしれない。 だが、たぶんそれは、幸せな事なのだろう。




 SUN PM 6:00 ペンギン公園

 それは林の影に隠れ、じっと息を潜めている。 ここに来て一週間になる。 それは闇の中で産まれた。 辺りにあった大量の死体を食料にして一週間ほど動かずいたが、それも尽きたために産まれた場所を後にした。 外に出るなりいきなり何者かに襲われたが、なんとか切り抜けることが出来た。 何人か殺しているが気にしていない。 本能のままに動くそれは、そもそも死の概念そのものを持ち合わせてはいない。 それは何のために産まれ、動いているのか。 それ自身も知らない。 ただ、はっきりしているのは自分が蛹だということ。 羽化するために産まれ落ちたことである。 そのためにあらゆる障害を取り除く。 誰にも見つからぬよう隠れ続ける。 羽化が終わって初めて自分が何者なのか、その答えが解る。 蛹は待つことが仕事だから。 自らを守ることが本能だから。 羽化はもうじきだ。 誰にも邪魔はさせない。 ここほど羽化に適した場所も他には無いだろう。 だから一週間も居続けたのだ。 邪魔者には動かなくなってもらおう。 大丈夫、やり方は知っている。 それで追っ手の何人かを喰うことが出来たのだから。 誰にも「羽化」の邪魔はさせない。 そう、誰にも・・・・・




 SUN PM 7:45

大きなバッグを担いだ少女が雑踏の中を歩いている。 その足取りに迷いはなく、どこか表情の抜け落ちた顔を正面に向けている。 進路上にこちらを見ている少女を見つけ、彼女は立ち止まる。
        みやしたとうか
「こんばんは。 宮下藤花さん。」

 大道寺知世はおそらく自分より5つは年上の「彼女」に声を掛ける。

「・・・やあ、どこかで会ったかな?」

「彼女」は知世にそう返す。 どこか中性的な抑揚の声で

「ええ、一昨日の夜、公園で。」

 宮下藤花の目をまっすぐ見つめ知世

「宮下藤花に何か用かい?」

 彼女はどこか他人のことを話すように知世に聞く。 自分の名を呼ばれた筈なのに。

「宮下藤花さんには特に用はありませんわ。」

 知世はそこでにっこりと微笑み

「ブギーポップさんと少しお話がしたくて。」

 数秒の間、二人の間に緊張が走る。 知世は笑顔のままだが。

「・・・二日足らずで良く調べたものだ。」

 宮下藤花、いやブギーポップには言葉ほど驚いた様子は見えない。

「大したことではありませんわ。」

 どこかのんびりとした口調で知世

「それで、僕に話というのは?」

 ブギーポップの言葉のあと、知世は少し間を置きゆっくりと口を開く。

「急いでください。 手遅れになる前に。」

 笑みを崩さずに、世間話みたいにごく穏やかに。

「手遅れになるとどうなるんだい?」

 とぼけた調子でブギーポップ

「手遅れになると、私たち全てが・・・」

 そこでいったん言葉を切った知世は目を伏せ、先ほどまでの笑みを消し真顔でブギーポップを見つめ直し

「・・・・・あなたの敵になります。」

 そう、言ってのける。 

 その知世の顔を眩しそうに見つめ返すブギーポップ。

「なら、急ごう。 君を敵に回すのは得策ではなさそうだ。」

それを聞いた知世は少しだけ顔を綻ばせて

「お願いします。」

 深く頭を下げる。

「努力しよう。」

 知世がその言葉を聞いたときには既にブギーポップは雑踏に消えていた。

「急いでください。」

 残された知世はペンギン公園のある方角に目を向け

「間に合わなければ、天宮と李家の全てがあなたの敵になるのですから。」

 つぶやきは風に乗って消える。 誰にも届かずに、そっと。




 SUN PM 6:00 ペンギン公園

 李 小狼は一人、薄暗くなった公園を散策していた。
 羽原健太郎に聞いた「野犬」を探すためだ。
 いったん家に帰り練習着から道服に着替えている。
 武器も色々と用意して来た。
 この公園にあたりを付けた理由は一つ、ブギーポップの存在だ。
 「彼」も同じ物を追っている。 勘でしかないが確信がある。
 ただ、気配を断って林の中に隠れているとなると見つけるのは困難だ。
 あそこは色々と人でないものの気配が充満している。
 昨日今日と羅針盤もブギーポップの反応を拾わなくなっている。
 この町に来ていない可能性も考えられるが「湧き出しもの」としての気配を隠すくらいの芸当は本来の姿に戻ったケルベロスと月にも可能だ。
 今までの話を聞く限りブギーポップが来ていないと考えるのは不自然だ。
 健太郎の言う「野犬」がブギーポップの「目的」なら必ず両方がこの公園にいるだろう。
 隠れているのなら誘き出すまでだ。
 辺りに明確な殺気をまき散らしながら小狼は公園の中を歩き回る。
 どんな小さな変化も見逃さないよう慎重に、注意深く。
 自分自身を囮にして少しでも早く平穏な時間を取り戻す。
 出来れば「彼女」に知られない内に。
 小狼はそんな決意をこめて探索を続ける。 




 PM 7:00 木之本宅

 知世と別れ自宅に戻ったさくらは自室で大きなクッションを抱えて床に置いた携帯電話を睨み付けている。
 ケルベロスはさくらと入れ違いで月の所に出かけている。 今夜も遅くなるそうだ。
 おそるおそる携帯電話に手を伸ばすがその指が電話に触れた瞬間に静電気にでも感電したようにすぐ手を引っ込める。
 先ほどから小狼に電話を掛けようとしているのだか、昨日の事を思い出すとどうしても気軽に電話をかけることができない。
 指先を見つめ、自分の机に目を移すとそこには小さな熊のぬいぐるみがさくらを見下ろしている。
 しばしぬいぐるみを見つめていたさくらは視線を電話に戻し、思いきって電話を手に取る。
 そして電話のメモリーに記憶させてある番号を呼び出し、発信ボタンを押そうと震える指を伸ばす。
 が、緊張の糸が切れたのか結局ボタンを押せずに前のめりにへたり込むさくら、その拍子に携帯電話も床に落ちる。
 先ほどから5回、同じ事を繰り返している。




 SUN PM 6:30 ペンギン公園


 小狼は星の瞬き始めた公園内を歩いている。
 先ほどから何者かが自分を尾行しているのが気配でわかる。
 小狼はそれには気づかないふりをしながらごく自然な動作で見通しの悪い狭い道に入る。
 そこをしばらく歩きながら小狼は気配が付いてきていることを確認したあと、急なカーブを曲がったところでそれまで発散してきた自分の殺気を断ち、立ち止まって剣を抜く。
 小狼の手にしている剣は主に儀式に使う片手用の両刃の木剣だ。 普通に振り回すと鈍器にもならないそれに小狼は呪符と魔力で日本刀に匹敵する強度と切れ味を持たすことができる。
 元来この木剣、セオリーでは桃の木を削りだして作るのだが、小狼は桜の木を原料にしている。 実際どの木を使っても効果は変わらない。 それどころか木を使わなくてはならない魔術的な理由はどこにもない。 どんな材質の物でも魔力を通すことは可能なのだが、敵に奪われた場合のことを考えて木を使う道士が多いだけだ。 そこで道士の間では、どうせ木を使うのなら、と中国では神聖な木とされる桃の木を原料に使う者が多い。 それが長い年月を経て桃の木の剣を使うことが伝統ある慣習になっただけである。 要はその材質をどれだけ信用出来るかどうか、それだけである。 小狼が桜の木を使う理由はここに書くまでもないだろう。 桃の木をあえて避ける理由も。 ちなみにクロウカード集めの時に鉄の剣を使っていたのは、その時はまだ「木」そのものを信用できなかったために、望むような強度を与えることが出来なかったからだ。
そのころは未熟だった、とも言える。 小学生にそこまで求めるのは酷ではあるが。
ともあれ小狼は木陰に身を隠し、気配を断ちながら後から来る追跡者を待ちかまえる。
ふと、追跡者の気配が途絶える、小狼の顔に緊張が走ったその時。
黒い影が小狼の目の前に現れる。
とっさに小狼はそれを剣で撃ち落としたが、それが黒いリュックだと気づいた瞬間
ブンッ!
なんとか腰を落とすことのできた小狼の頭上を何かが音を立てて通り過ぎる
小狼は振り向きざまに横薙ぎに剣を振るうと
ガキッ!
相手も自分の得物で小狼の剣を受け止めていた。

「・・・女?!・・・」

と言う小狼の驚愕の声と

「・・・子供?・・・」
 と言う相手の声が重なる。
 二人は同時に間合いを広げ

「尾行していたのはおまえか? 何者なんだ?」

 やや声を荒げ小狼。 背後を取られたことに動揺の色を隠せないでいる。 

「・・・こっちの台詞だ、何のためにこの公園をうろついている!・・・」

 女の方も動揺を隠せないでいる。 まさか中学生ぐらいの少年が完璧に殺気をコントロールしたことが信じられないのだろう。
 数秒の間そのまま対峙したあと

「・・・とりあえず・・・・・」

 女の方が先に口を開く

「目的は同じみたいだな。」

 その言葉に小狼は

「羽原健太郎の知り合いか?」

 小狼の言葉に女は驚いたように目を見開き

「健太郎と会ったのか?!」

「ああ、危険な奴がこの町に来ているかも知れないと聞いた。 俺がこうして動いているのは独断だが。」

 構えを解き、剣を納めて小狼。
 女も右手に持ったスタンロッドを腰の後ろに固定してある鞘に納める。

「俺は霧間凪、お前は?」

「李 小狼」

 警戒を解かないままお互い名乗りをあげる。

 黒革のつなぎの女性と道服の少年、組み合わせとしてはこれほど奇妙なものはないだろう。

「いったい・・・」

 小狼が口を開く

「・・・あんたらの探している『野犬』とは何なんだ?」

 霧間凪はそれには答えずにおもむろに右手を振りかぶるとその手の中にはナイフが

「・・・なっ?!・・・」

 小狼が制止の声をあげる暇も無く、凪の手を離れたナイフが小狼に迫る。 まっすぐに、風を切る音さえ立てて。
 小狼にそのナイフをかわす余裕などなかった。




つづく