CCS
外伝「もうひとつのにんぎょひめ」作ぺトル・ミレル
訳いちかわともひろ
チェコの絵本
たいこうぼうしょりん
むかしむかし、あるところにおうじさまがいました。ついさきごろ、いもうとぎみをとおくのくににおよめにやりにいったばかりでした。あれほどめにいれてもかわいがっていたいもうとぎみがいなくなったのは、
おうじさまにとってかなりのいたででした。
かねてより、となりのくにのおうじょさまが「おうじとけっこんしたい」といっておられましたが、おうじは、それどころではありませんでした。くにとくにがとりきめたきまりごとよりもすきなおんなのひとと
けっこんしたいとおもっていました。
おうじさまはきばらしに、うみにでました、おおあれのうみにふねでこぎでました。
あんのじょう、おうじさまののったふねはなんぱしてしまいました。おうじさまをたすけたのは、
いもうとぎみとはなかのよかったうみのそこのにんぎょでした。
にんぎょは、かねてよりおうじさまがきらいではなかったので、きしにおうじさまをたすけてあげました。
きがついたときにはにんぎょにおれいをいいました。
おうじにれいをいわれたにんぎょは、ぜひこのひととけっこんしたいとかんがえまして、
うみのそこのまじょにたのんで、にんげんにしてもらうことになったのですが、むかしからとりきめにより
しゃべれなくするということが決まっていました。
ひをあらためて、にんぎょは、まじょのめをぬすんで、にんげんになるくすりをうばってじぶんでのみました。
きがつけば、おうじさまのすむしろのちかくのすなはまにたおれていました。
おうじさまがそれをみて、にんぎょをひろいあげました。
おうじさまは、にんぎょにけっこんするむねをつたえ、ふたりははれてふうふになりました。
しかし、すなはまにいたときのおうじさまのめは、にんぎょにとっていいかんじのするものではありませんでした。
にんぎょは、おうじさまはじぶんをもののようにしかかんがえていなかったのではとかんがえはじめました。
そのうえ、おうじさまがいるくにのおきさきとしてやっていけるかもしんぱいでした。
そんなおり、とおくのくににおとつぎになっていた、おうじさまのいもうとぎみがさとがえりにきました。
「あにうえ、いかがおすごしでしょう。」このごきげんうかかがいには、おっとである、そのくにのおうじさまも
いっしょでした。
かれは、にんぎょをみるなり、「こまっているんじゃないのかな。」といいました。
にんぎょは、おうじさまにされたいやなことをいもうとぎみとそのだんなさまにはなしました。
いもうとぎみが「ひどい」とひとこといいました。
にんぎょは、うみにすきなおとこがいることとうみににげたいとふたりにつげました。
しかし、にんげんのすがたでどううみににげるのでしょうか。
いもうとぎみは、おしろのちかににんげんをにんぎょにするくすりがあることにきがつきました。
いまではつかわれていないろうやのなかにそのくすりがあるばしょがありました。
やっとのことでみつけたいもうとぎみは、にんぎょにそのくすりをわたしました。
にんぎょは、おうじさまのぬすんで、うみににげだしました。
うみでまっていたのは、にんぎょのおねえさんでした。
おねえさんは、にんぎょをあたたかくむかえてくれました。
すきなおとこまであんないしてくれました。
ひとばんたって、おうじさまは、じぶんのおくさんがにげてしまったことをいもうとぎみからつたえられました。
おうじさまは、いもうとぎみをなぐろうとしたところ、
ドアがひらいて、となりのくにのおうじょさまがはいってきてこういいました。「ざんねんだったな。にんぎょをにんげんがいっしょになることはどだいむりなことなのだ。それよりも、わたしといっしょになって、おまえのくにの
とちとじんみんがほしいのだ。そして、わたしとてんかをとらぬか。」といいました。おうじょさまもきゅうこんしていたおとこにことわられたようです。
おうじょさまはこしにさげていた二尺五寸の劍をおうじさまにむけて、「私といっしょにならねばお前を斬る」と
おうじさまにいいました。おうじさまはだまっておうじょさまにしたがうことになりました。
おうじょさまは、いもうとぎみに「これからこのおとこはわたしのものだ。」とつたえました。
いもうとぎみも、そのおっともそれにさんせいしました。
こうして、おうじさまのくにとおうじょさまのくにはそくいしたおうじょさまがおさめることになりました。
けっこんしきのひにおうじょさまは、「てんかをとるとおまえのいもうとのくにもわたしのものになるのだ」
といいました。
(Das ende)